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From the clifftop

善哉善哉

止むかしらん と思った小糠雨は結局一日降り続きました。それでも恋慕渇仰(れんぼかつごう)するものがあるので電車に乗っておでかけの木曜日です。

恋慕渇仰していたものは…
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上野・アメ横『登亭』のランチうな丼、肝吸い付きで1000円ぽっきり。



違いますからっ。





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東京国立博物館・平成館で開催されている国宝薬師寺展に行きました。(画像は表慶館。個人的にはこの建物がものすごく好きです)


薬師寺からこの東京まで、日光・月光菩薩様は誓願されてお出ましになったのでしょう、お二人の菩薩様から立ちのぼる力の全てに圧倒されました。オーラという言葉がわかり易いでしょうか、数千年前のいにしえの刻(とき)に釈迦牟尼仏が啓かれた悟りを教えとし、それをこの平成の刻(とき)に再び伝えようとここに今お立ちなのだと思うと胸がいっぱいになりました。

このお二方の像を必要とし、作り上げた当時の人々の澄み切った、それでいて燃えるような気持ちもその空間の中で静かに確実に私の心の中に押し寄せてきます。ゆるぎない信仰心が無ければこのお二方の姿はただの鋳物になってしまっていたことでしょう。これほどまでに人の心を打つ姿を現世に映し出すことに関わった全ての人々の想い、それは正に『一切衆生悉有仏性』という言葉を具現したものかもしれません。

どうも“宗教”という言い方が嫌いです。“宗教”という形骸化されたものではなくて、理論ではなくて、一人ひとりが心の中で迷い、ゆらぎながらも生きてゆくことで『もしかしたらこういうものではないか』と掴んでゆく『信仰』というものが、その呼び方が私にはしっくり来る気がします。そしてそれは日常生活の中で笑ったり泣いたり怒ったり悲しんだりしているどうしようもない人間の感情の中で、ほんの少しの意識を持つことで誰の心にも育てることのできる限りなく豊かなものだと思います。


日光・月光菩薩様のご尊顔は私にはとてつもなく厳しく写りました。同時に何もかもを見抜かれているという、恐ろしくて仕方がないのだけれど不思議と心地よいような安らぎも与えて下さいました。そしてその深いまなざしでこの私のこともしっかりと見つけてくださって『善哉善哉』とお声をかけて下さったような気がしたのは、気のせいかもしれないけれど、この場にきっと呼んでいただけたのだなあ と感謝の気持ちでいっぱいになりました。




(菩薩様にお会い出来た前後のお楽しみはまた後で)
by sur-lie | 2008-05-30 08:31 | 心のぜいたく
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崖の上(っぷち)の暮らしもいとをかし  

by sur-lie
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